2006年の こみみ 

  音楽家と病気(4) 左手のピアニスト −脳溢血との戦い− (2006.12.28) by K先生

  おタバコはご遠慮ください。 (2006.12.13) by T先生

  喜び、悲しみ、傷つきなさい  (2006.11.30.) by A先生

  見方を変えると・・・。   (2006.11.17)

  英語の本を読んでみよう   (2006.11.02.)

  左利き? 右利き?  (2006.10.16.)

  ○○ともあろう者が・・・ (2006.09.20.)

  音楽家と病気(3) あなたはハイドン派、それともモーツアルト派?(2006.09.06.) by K先生

  だーかーらー (2006.08.23)

  「右にならえ」でいいのかな? (2006.08.08) by T先生

  DVDの購入はタイヘンだ・・・ (2006.07.28)

  サッカーと言えば、ダイヤモンドサッカー (2006.07.06) by A先生

  健康食品・サプリメントに関するサイト (2006.06.16)

  語学が堪能? (2006.06.01) by O先生

  歴史に学ぶ −西郷さんの言葉− (2006.05.11) by U先生

  「ロード・オブ・ザ・リング」を見るなら! (2006.04.19)

  音楽家と病気(2) アマデウスの死とモーツアルトの死因 (2006.04.06) by K先生

  想像するちから (2006.03.23)

  ワタシはスタコ その6 (2006.03.08) by T先生

  ノスタルジーに浸ろう (2006.02.23) by A先生

  日本語に関する本 (2006.02.10)

  DVDが見られるようになりました。(2006.01.20)

  宮大工の英知 (2006.01.04) by U先生



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音楽家と病気(4) 左手のピアニスト −脳溢血との戦い−  (2006.12.28) by K先生

今回は日本を代表するピアニスト、舘野泉さん(1936〜)のお話です。
2002年1月9日、フィンランドでリサイタルを開いていた舘野氏は、最後の曲を
あと2ページ残すのみとなった時、右手が次第に遅れだし、空回りするように
動きが止ってしまいました。このとき、すでに彼の脳は出血が始まっていました。
演奏終了後、直ちに救急車で大学病院に運ばれましたが、手術不能の箇所からの
出血ということで、自然治癒に任せなければならないという事態に陥りました。
そして、右半身不随という状態で1年半が過ぎ、本人は再起不能を予感したそうです。

実はクラシックの世界には、左手のための作品がいくつか存在します。
最も有名な作品に、モーリス・ラヴェル(1875〜1937)が作曲した「左手のためのピアノ協奏曲」
という作品がありますが、舘野氏は周囲から「この曲を弾いたら」と言われるのが嫌で、
再起するのは両手が元のように戻ってからで、左手のための作品なんて死んでも弾くものか、
とこの時は思ったそうです。両手で弾けなければピアニストではない、と真剣に考えた末の
結論でしょう。

しかし、転機はバイオリニストである息子が留学から帰ってきた時、お土産にフランク・ブリッジ
(イギリスの作曲家・1879〜1941)という作曲家の「3つのインプロヴィゼーション」という、
日本では全く知られていない左手のための作品の楽譜を買ってきてくれたことから始まります。
舘野氏は、この作品と出遭ったことによって、音楽を表現するのに片手、両手は関係がない、
ということに気がついたと回想しています。

さらに、これをきっかけに、左手のための作品を探したところ、左手のための作品は
ことのほか多く、そのほとんどが戦争で片腕を失ったり、交通事故で思わぬ怪我をしたり、
神経症や脳溢血で片腕の自由が利かなくなった人のために書かれたものでした。
これらの作品は、両手のための作品と比べて何の遜色もない立派な作品であるはずなのに、
音楽界の裏道でひっそりと生きてきたということに気がつかざるを得なかったそうです。

この後、積極的に音楽活動を再開するうちに、右手の麻痺がだんだん薄れていくのを
自覚するようになり、ひょっとするとまた両手で弾くことが出来るようになるかもしれない、
という希望が芽生えてきたそうです。

この話を聞いて、「当たり前と思っていたものを突然失う」という、日常では予期せぬ
出来事への見事な適応を感じました。最近の私たちは、十分満たされるのが当たり前で、
ちょっとでも何か欠けると不満を感じやすい生活を送っているのではないでしょうか。
失って初めてその大切さを知る、そして失って初めて見えるものがある。もう一度、失う前に
自らの周りを見直してみませんか。きっと新しい発見がありますよ。

舘野氏の音楽を聴いていると、前向きに生きることが最大の治療であることを実感します。
今、必要なのは何でも前向きに考えること。皆さんはどうですか?


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おタバコはご遠慮ください。 (2006.12.13)  by T先生

先日、「君は学生に冷たい!」と学部長先生から言われてしまいました。
そんなに冷たいかな?と我が身を振り返り、思い当たることはただ一つ。
「タバコを吸う学生には冷たい」かも知れません。でも、全然反省しませんよ。
薬学部の学生がタバコを吸うなんて有り得ないと思っているからです。

これだけ禁煙だの嫌煙だのと叫ばれているご時世で、タバコを吸い始める
薬学生の気持ちが全然わかりません。「病院に勤めたいんです。」なんて
就職相談に来るかわいい女子学生の息がヤニ臭いなんてこと、しょっちゅうあります。
こんな人には病院を紹介なんて絶対にしたくなくなってしまいます。

医療に従事する人は率先して禁煙を叫ばなくてはいけないのに、その人が
タバコ吸ってていいんですか?
自分を律することもできない人が患者さんに「糖尿病だからカロリー制限してね」
なんてよく言えますね。食べるのを我慢する方がもっと辛いかもしれないでしょ?

年とってる人たちがタバコ吸ってるのは仕方がないと思います。タバコの危険性が
わかる前から吸ってしまっていて、中毒みたいになって今さらやめられないから。
でも、学生のように若い人が今、吸い始めるのは、いったい何を考えてるんだか
全然理解できないです。絶対にタバコを吸ってはいけません。是非、やめてください。
肺ガンで死ぬのは辛いですよ。大事な人を肺ガンで殺したいですか?自分だけじゃ
ないんですよ。皆さんの子供が肺ガンで死ぬあなたを看取ることになるかもしれませんよ。
そんな悲しいこと、させないで。

最近、私のとても仲良しの先生が禁煙してくれました。肺に影があるって健康診断で
言われて、それは単なるミスだったんですが、ショックだったらしくて禁煙してくれました。
まだ数ヶ月の禁煙ですが、私はその先生を信じてます。きっともう、吸わないでしょう。
禁煙のコツはとにかく意志の力だそうです。今、タバコ吸ってる人、今からでも遅くないです。
意志の力ですよ。禁煙してください。そして、そういう禁煙の体験談を医療従事者として
一般の人に話してあげてください。

タバコを吸って自分の身体に受けたデメリットはもう消えないけれど、他の人を救うことは
できるでしょう。禁煙してくれた人にはもちろん!私はとっても優しく接してあげますよ。
それは、保証します。


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喜び、悲しみ、傷つきなさい  (2006.11.30.) by A先生

「いじめ」がテレビ、インターネットや新聞などで、たとえはよくないが、流行の
ように氾濫している。だが、「いじめ」は今になって急に増えてきたことではないと思う。
昔から、「いじめ」はいろいろな場所や場面で行われ、多くの「いじめられっこ」や
「いじめっこ」が存在していたように感じる。

筆者も思い返してみると、「いじめっこ」であったり、「いじめられっこ」であったりした。
しかし、最近どうしてこれほどまで騒ぎ立てられるようになっているのであろう。
自殺者が増えているからであろうか?悪質化しているからであろうか?

筆者は、その理由のひとつとして、人間関係の変化をあげたい。幅広く、多くの人と
付き合い、感化を受けることや、衝突することが少なくなってはいないだろうか。
狭い範囲の人たちと、無難に付き合う場合が多くなっているようにも感じる。
帝京の薬学部も人数は多いが、卒業後もずっと続く本当の付き合いをしている
学生は少ないように見受けられる。ただし、このことは学生ばかりではなく、
社会全体的な流れであろう。つまり、友達で(知り合いで?)いてほしいが、
自分の生活(人生)に干渉されるほど深くはつきあいたくないといった
付き合い方であろうか。

このような付き合い方をするために、“自分たち以外の人”を作ることで、
自分たちという狭く浅いつながりを築き上げ、確保しているように思える。
この“自分たち以外の人”の該当者は、概して弱者になりがちである。
昨今の「いじめ」は、“自分たち以外の人”を作る儀式であるともいえよう。
集団で路上生活者に危害を与えることによって共通のゆがんだ快楽を
得ることや、子供を虐待することで夫婦(パートナー)の関係を保つことなども
同列に扱うことができる事例であろう。

人は自分とは違う。関係を築こうとすると、さまざまな障害や困難が待ち受けて
いるものだ。痛みを伴うものだ。そこに背を向け、関係を保つために、関係ない人に
対する行動で共感を得ようとする。この間違った風潮をとめることはできないので
あろうか。

帝京大学薬学部は、医療に携わるものを育成する機関であり、将来は病人などの
弱者を相手にする人々が集う場所である。学生は、薬剤師になったら患者さんと
よりよい関係を築きたいです、という理想も言ったりする。
しかし、あいさつはしない、返事はできない、人の目を見て話せないなど、人間関係の
練習がまだまだの学生たちが、卒業して理想とする関係が築けるのであろうか。
ぜひ、学生時代に多くの人とつながり、多くの人と正面から向き合って話し、多くの痛みや
喜びを感じて、よりよい人間関係を築く術を学んでほしい。
決して、携帯メールのアドレスを増やせと言っているわけではない。


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見方を変えると・・・。  (2006.11.17.)

 ここ数年、冬になるとイルミネーションが普通の住宅街でも見られるように
なりました。とても個人のお宅とは思えないような、凝った飾りに目を奪われる
こともしばしばです。個人の家だけでなく、お店も、通りも、建物も、毎年パワー
アップされて、飾り付ける方の苦労と満足が目に浮かぶようです。

 きれいだなと思うと同時に、いつもある方のことを思い出します。レイチェル・
カーソン日本協会理事長の上遠恵子先生です。ずいぶん前のことですが、
研修会の後のいわゆる二次会に、大勢の中の一人にすぎないとはいえ、
ご一緒させて頂く機会に恵まれました。道すがら、ライトアップされた木の前を通り、
きれいだなと思っていると、先生は「生体時計が狂ってしまうから、木がかわいそうだ」
というようなことをおっしゃいました。正確な言葉はもう覚えていません。でも、
昼夜の区別なく、明かりに照らされていることが、木にとってよいこととは思えません。
人間から見ればただの美しい風景ですが、木の立場からみると、残酷でさえあり
ます。
 それからというもの、ライトアップやイルミネーションを見ると、複雑な思いに
かられます。やめろとまでは言いませんが、もう少し違う形にならないかなぁと
思います。視野が開けた、というと大げさかもしれませんが、この経験を思い出す
度に、違う立場からものをみることの大切さを改めて感じるのです。

 でも、考えてみると、この目線の変え方は、誰でも無意識にできていること
なんですよね。例えば、信号のない横断歩道を渡ろうとしている人がいる、という
場面を考えてみてください。自分が車に乗っているときには、車の立場で考えます
から、早く渡ってほしい、とか、急に出てきて危ない、などと思いますよね。
 次は歩いている人の立場になってください。渡りたいのに、全然止まってくれない、
とか、歩行者が渡っている間、車が止まって待っているのは当然だ、などと考えたり
しませんか。
 この目線の切り替えは、このように自然にできているのに、同時に両方の立場
に立つことは、意識しておかないと、なかなかできません。誰でも自分本位になり
がちですが、常に人の立場で考えよ、というのは無理な話です。だから、それは
それとして自覚した上で、気をつけていけばいいのではないでしょうか。

 見方をかえると、もうひとついいことがあります。嫌な思いをしたとき、がっかりした
ときなど、相手の立場にたって考えてみたり、目線をかえて、プラス思考で考えて
みたりするだけで、新しい発見があったり、急に元気がでてくることがあります。
ものの考えかたひとつ。たかが、されど、です。
見方を変えて、お互いに毎日を気持ちよく過ごしたいものですね。


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英語の本を読んでみよう   (2006.11.02.)


昨年8/31のこみみ「英語上達法」で、英語の「多読」が紹介されていました。
最近、「多読」に使えそうな、気軽に読める英語の本が入りましたので、
今回はそれをご紹介したいと思います。

まずはマンガです。図書館の中ではちょっと浮いてしまう表紙ですが。
 ドラえもん 1〜3巻 (833.7/FU)
  ふきだしの中は英語。枠の外に日本語訳が入っています。

 対訳サザエさん 1〜3巻 (833.7/HA)
  ドラえもんと同じく、ふきだしの中は英語。枠の外に日本語訳が入っています。
  欄外には内容についての注釈(英文)があります。
  たとえば、紙芝居をみている子供たちが出てくるマンガには、
    ”This sort of story-telling with picture cards, called kamishibai,
      was very popular among children before the days of television.”
  という説明がついています。
  紙芝居って日本独特のものだったんですねぇ。

お料理の本もあります。
 英語で日本料理 (833.7/HA)
  左ページに日本語、右ページに英文という形で、見開きで1つの料理の作り方を
  説明しています。普通の料理の本としても使えますが、本文の写真がモノクロなのが
  ちょっと残念。
  料理の名前を見るだけでもなかなか興味深いです。
    手巻き寿司=Do-It-Yourself Sushi Rolls
                    ・・・そのまんまですね。
    けんちん汁=Tofu, Pork, and Vegitable Soup, Kenchin-style
                    ・・・Kenchin-styleって。ちょっとオモシロイ。

その他、日本の小説を英語に翻訳したものもあります。
  よしもとばななの作品 (913.6/YO)
     ・Kitchen・・・原書:キッチン
     ・Goodbye Tsugumi・・・原書:TSUGUMI”つぐみ”
  村上春樹の作品 (913.6/MU)
     ・Norwegian Wood・・・原書:ノルウェイの森
     ・Kafka on the Shore・・・原書:海辺のカフカ
以上の4点は、原作も所蔵しています。
原作を読んでから翻訳を読むと、話の流れがわかって読みやすいのでは
ないでしょうか。


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左利き? 右利き?   (2006.10.16.)

最近受入された図書で面白そうな本がありましたのでご紹介します。

『「左利き」は天才?:利き手をめぐる脳と進化の謎』
  デイヴィッド・ウォルマン著   日本経済新聞社 2006年発行
  請求番号:491.37/WO   配架場所:一般図書

上記の本のカバーのそで(中に折り返してある部分です)には
このような紹介文が書いてあります。

『全人類の約10%を占める「左利き」の人たちは、右利きの人と
どこが違うのか? 左利きはどうやって生まれるのか? 脳の仕組みや
働きに差があるのか? 動物にも利き手はあるのか?
・・・中略・・・ 
利き手をめぐる謎が、言語の起源や知性の進化といった現代科学の最重要
トピックと深くつながっていることを知る! 「左利きの人への贈り物に
最適」(PW誌)と評された、奇想天外なサイエンス・ノンフィクション』

紹介文にあるとおり、脳の仕組みや、左利きは遺伝するのか? 
子どもの利き手はいつ決まるのか? といった科学的なアプローチから、
左利きの人の手相について(日本人が占星術で占いをするように、
西洋でも手相を見る人がいるようです)とか、
右手に左手を移植された人の話、左利きの筆跡鑑定、
著者が日本レフティ(左利き)ゴルフ協会(こういった協会があるのですね)の
大会に参加した時のことなど、いろいろなことが載っています。

目次を見て興味を引かれた部分だけざっと読むだけでも
「へ〜、そうなんだ〜」という感じに楽しめましたし、
サイエンス・ノンフィクションが好きな人には
なかなか読み応えがある本ではないかと思います。、
また、左利きの人はつい手にとってしまうのでは??
興味をもたれた方はどうぞ読んでみてください。

※ 最近受入された本(新着図書)につきましては
   図書館HPの「新着資料案内」から調べることが出来ますので
   どうぞ御利用ください。


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○○ともあろう者が・・・   (2006.09.20.) 

 先日、買ってから大事にしまっておいた(読んでいなかった)本を引っ張り出して
読んでいたら、どうしても話のつながらない部分がありました。少し遅れて気づいた
この違和感の原因は、なんと「落丁」!!
 本を読んでいて落丁に当たったのは初めてです。仕事柄たくさんの本を扱いますが
単行本で落丁や乱丁に当たったことは、今までそれほどありません。もちろん読んでいる
訳ではないので、気づかないだけかもしれません。でも、滅多にあることではありません。
しかも、場所をとるので、私は最近あまり本を買っていないのです。それなのに、なんという
確率! どうせ当たるなら宝くじでも、と思わずにいられません。

 読んだことのある本だったので、まだよかったのですが、これが初めて読む本だったら
出版社に慰謝料を請求したいくらいです。本好きの方ならおわかりくださいますよね。
まったく、許しがたい事態です。それに、ちょうど数章分がごっそりきれいに抜けていたため
もしかしたら気づかなかったかも・・・、という恐怖も味わいました。

 さて、出版社に交換を依頼して、程なく代替品が届きました。同封されていた手紙には
「この度は・・・」に始まって、ごく普通のお詫びの言葉がありました。そして、文末に
「ご笑読ください」
 え? これって正しいの? 担当の方、あなたの書いた本じゃないでしょう?
作者に対して失礼じゃないですか??
このような時にも使える言い回しなのでしょうか? 初めて聞く言い方だったので、なんとも
いえません。でも、この出版社に対する私の評価は、がた落ちしました。おもしろい本を
いっぱい出していると思っていたのにねぇ。残念だわ。

 今回、こみみのネタに使わせて頂くにあたって、出版社に勤務している人が、まちがった
使い方をするだろうか? と思い直し、調べてみました。なにしろ、個人的には、図書館に
勤務しているのに、漢字や言い回しにまちがいがあるなんて、恥ずかしいことだ、と思って
いるからです。不安なときは、辞書を引くようにしています。そもそも、私は「笑読」という
言葉を初めて聞いたのです。自分がまちがっている可能性は高いと思わざるを得ません。

 そこは、図書館にいるありがたさ。早速、辞書をいくつもひっぱりだしました。
広辞苑第五版によると、「笑」の意のひとつとして、

他人の受容を望む謙譲の語。「笑納・笑覧」

と載っていました。他の辞典も調べました。だいたい同じようなことが書いてあります。
ただし、どの辞書も「笑読」という例は載せていませんでした。しかたがないので、
私の中では、自分の出版者の本だから謙譲語を使った、ということにしておきました。
私なら別の言い回しを使いますよ、と思いながら。

 つまるところ、文章を扱う出版者の方だからこそ、気になったのだと思います。出版社に
勤めているくせに。そう思うからです。考えてみれば、このようなことは、よくありますよね。
例えば、このところ頻繁にニュースになっている「飲酒運転」。特に公務員が起こした
事故は大きなニュースになっています。学校の教員も、何かあると、他の職業のひとより、
問題視されます。どんな職業のひとが起こした事故(事件)か、で取り上げられ方が違って
います。結局、先入観の問題なのかもしれません。だからといって、私としては、今回の
「笑読」が許せる訳ではないのですが。でもねぇ。私も気をつけないと。誰かに「司書とも
あろう者がっ!」なんて言われないように・・・。


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音楽家と病気(3) あなたはハイドン派、それともモーツアルト派? by K先生

前回のモーツアルトは、わずか35年の生涯に後世に残る名曲を600曲以上作曲しました。
今回紹介するフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732年〜1809年)は生涯に104曲以上の
交響曲を作曲したことで、音楽の教科書では「交響曲の父」と書かれていますが、
実はそれ以外に68曲の弦楽四重奏、58曲のピアノソナタ、45曲以上のピアノ三重奏曲、
12曲のミサ曲、10曲以上の歌劇(「薬剤師」という題名のオペラもあります)・・・と
膨大な作品を後世に残し、そのジャンルの基礎を確立したことはあまり知られていないと
思います。
しかし、モーツアルトが亡くなった35歳の時点では、作品数も僅かで、もし、ハイドンが
モーツアルトと同じ35歳で亡くなっていたら、音楽の教科書に載ることはなかったでしょう。

ハイドンの交響曲にはニックネームのついた交響曲が30曲もあります。どのくらい
ご存知ですか?何でこんなにたくさんの交響曲を書いたのでしょう。
実はハイドンは1761年、大貴族で音楽愛好家のエステルハージ侯に雇われ、エステル
ハージー宮の楽団を率いて、主人であるパウル・アントン・エステルハージ侯のために、
大量の作品を書くことになります。
ハイドン29歳の時です。すなわち、ハイドンはたった1人のために29歳から約30年間に
わたり80曲近い交響曲を書き続けたのです(交響曲だけではありませんが・・)。

同じ人に聴かせるための創意工夫は、天才肌というより、努力とユーモアのセンスが
根底にあるようです。
例えば、交響曲第45番は「告別」というニックネームで有名ですが、これは、いつも避暑に
訪れるとき、楽団も一緒に連れて行ったエステルハージ候が、この年だけはいつもより長く
避暑地に滞在したため、残した家族の元に速く返りたい楽団員のために、フィナーレで
奏者がろうそくを消して一人ずつ退場していくというパフォーマンスで君主にアピールした・・・
君主のハイドンへの「寂しそうな曲だね」という感想に対し、「はい、楽団員の気持ちです」と
ハイドンが答えた・・・という伝記にも載る逸話があります。

ハイドンには大きな病気をした、という記録はあまり見つかりませんが、このような過酷(?)な
労働環境で、何度か「うつ病」のような状態になったのではないか、と言われています。
作品は構成のしっかりした幾何的な美しさと、ユーモアのセンスに溢れており、作品に
「うつの気配」を感じることは困難と思います。
しかし、晩年は湧き出てくる楽想を思うように書き留めることができず、心穏やかでは
なかったのではないかと察せられています。死因は老衰という説が主流で、彼らの生きた
時代を考えると78年の人生は十分だったかもしれません。

わずか35年間で「あっ」という間に人生の仕事を成し遂げてしまったかのモーツアルト、
じっくりと自分に与えられた環境を生かしながら、亀のように着実に積み上げていったハイドン、
神様は2人の能力をあらかじめ考えて、この世に送ったのでしょうか。

私は、生誕250年のモーツアルトが盛んに取り上げられる今年、ハイドンのような生き方に
強く惹かれてしまいます。皆さんはどうですか?   (H.K記)


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だーかーらー (2006.08.23)

「飲食物を持ち込まないでください」
お菓子とペットボトルが入った購買の袋をぶらさげて入ってきた学生に、カウンターで
声をかけると、彼は「はい」と返事をしつつ、そのまま閲覧室に進んでいこうとする。
(??? いまの返事はなんだったのでしょう?)
「持ち込まないで、って言ってるんですよ」と、もう一度言うと、彼は「はい」と今度は
ふてくされて、袋ごとバッグにしまおうとする。

図書館内で毎日のように繰り返されるやり取りです。
利用上のマナー、特に飲食物の扱いに関しては、入学したときからうるさくうるさく
言っていて、いい加減理解してくれてもよさそうだと思うのに、
度重なる同じ会話に、仕事とは言えうんざりしてしまいます。

図書館では、「他の利用者に迷惑をかける可能性のある行為」を禁止しています。
資料や施設を汚す可能性が高い飲食は、もちろん禁止事項です。
飲食が禁止なのだから、飲食物を”持っている”必要はないわけで、持ち込みについても
原則として禁止しています。
原則として、というのは、もしバッグの中に飲食物が入っていたとしても、館内で取り出す
ことさえしなければOKとなるからです。荷物の検査をするわけではないので。
要するに、「館内では飲食しないで」「飲食物の姿を見せないで」というだけのことなの
ですが、そんなに難しくて、厳しい規則でしょうか。

さっきの学生は、一度入ってきて自分の机を確保してから購買に行き、おやつを買って
戻ってきたところ、この会話となりました。しかも、過去に何度も注意した記憶のある
3年生です。

購買の袋をバッグに入れた彼に、更に、
「それは”持ち込んでいる”ことにはならないのかな?」と聞いてみました。
彼は半分キレ気味に、「じゃあどうすればいいですか!?」

「だーかーらー・・・」

どうすればいいんでしょうね。
単純に、いま持っているおやつをどうすればいいか、という質問なのであれば、
外で食べるか、ロッカーに入れておき、帰りに持っていってください、と答えます。
が、彼に対してそんな説明は何度もしているはず。
おやつを食べながら勉強するのを許可しろ、ということであれば、それは不可能なので、
別の場所に移動してください、と言うしかありません。
飲食やおしゃべりをしながら勉強したい人には、開放されている講義室や学食という
スペースが用意されています。

図書館を使うのなら規則を守ってください。
逆に言うと、規則を守れない人は使わないでください。図書館員にあるまじき発言と
言われるかもしれませんが、ここはあくまでも任意で利用する施設です。
使わないからと言って、単位が取れないことはありません。卒業できないこともありません。

図書館を使いたい、でも規則を守るのはイヤ、というのは、ただのわがままだと思うんだけど。
間違ってますか?


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「右にならえ」でいいのかな? (2006.08.08) by T先生

街でジーンズに穴があいている人をたくさん見かけます。すり切れたり穴あきだったりする
ジーンズを何故はいているのか、不思議で仕方がありません。すり切れた隙間から下着が
見えたりすると目のやり場に困ってしまい迷惑です。

しかし、学生に言わせれば、「あれが、かっこいい」んですって!
あのジーンズはずっとはいていて穴があいてしまったわけではなくて、新品のジーンズが
最初から穴あきで売られているそうです。永い時間かけてはきふるした独特の味を最初から
人工的に付け加えて売っているのです。

なんてこと!て思いました。古いジーンズを大事にはいていて微妙な味わいがでるのを
「かっこいい」と思うのは理解できます。でも、それは、そのジーンズをはいている人の
生活スタイルすべてを含めて「かっこいい」と思うわけで、わざわざ新品の穴あきジーンズを
買ってはいたからといって、生活スタイルが身に付くわけではないでしょう。

エセかっこいいスタイルは底が浅い、まねしたって見苦しいからやめてほしい、と思います。

ファッションの流行では「右にならえ」が横行しています。特に日本では異常なくらいの
同一化が見られます。大学の中でも同じような格好をした学生をたくさんみかけます。
友達が髪の毛を染めたから自分も染める。友達がタバコを吸い出しだから自分も吸う。
友達がピアスをしたから自分もピアスをする。友達が勉強しないから自分も勉強しない。
−なんじゃ、そりゃ?て思います。

人間は結局はひとりです。自分の人生を生きるんです。生き方、暮らし方は自分で決めなくっちゃ。
みんなと同じ格好する必要がないこと、まねをしたって本質は身に付かないこと、わかって
ほしいです。みんなが右をむいたとき、「待てよ、ほんとに右でいいのか?」て思える人が
私は好きです。

人間、死ぬときはひとりでしょ?もっと自分を大事にして、自分らしく生きていかないとね。


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DVDの購入はタイヘンだ・・・ (2006.07.28)

図書館にDVD資料が入って数ヶ月が経ちました。その効果か、視聴覚資料の
貸出数は昨年同時期の5倍以上となっています。
たくさん利用いただけるのはありがたいことですし、利用が見込めるDVD資料は
いろいろと購入したいところなのですが、特に映画作品については購入タイトルの
選定に様々な制限があります。
安いんだからどんどん買ってほしい、というご意見もいただきますが、実際に
図書館で購入しているDVD・VHSの価格をご存知でしょうか・・・?

通常、個人でDVDを購入する際には、タイトルにもよりますが1作品3千円程度
でしょうか。中古のDVDであれば千円足らずで購入できるものもありますね。

しかし図書館でのDVD・VHSの購入は、個人での購入とはまったく違う扱いと
なります。著作権上の理由により、貸出可能にするための様々な制限を受け、
さらに貸出に対する対価を支払うことによって購入できる仕組みになっています。
そのため、一般的には1作品あたり1万円〜1万5千円、高いものだと2万円以上の
価格に設定されているものもあります。

図書館に置いているDVD・VHSの利用上の制限は、実物を見ればわかります。
まず、DVDの場合はディスクの表面に「レンタル専用」の表示があるはずです。
これがついているのはレンタル用に作成・販売されたDVDで、通常販売されている
ものには付いている付録がなかったり、特典映像が入っていなかったりします。
(もちろん本編自体は同じものです)

また、パッケージには「特定使用範囲」という表示があり、以下の3種に分かれて
○×で使用できるかどうかの表示が示してあります。
  1.館外貸出個人視聴
  2.館内ブース個人視聴
  3.館内ホール上映
通常当館で購入しているものは1・2が○、3が×です。
つまり貸出と館内での視聴はできるけど、館内で上映会をおこなうことはできない、
というものです。3も○になっているものは「上映権付き」という扱いになり、さらに
高い価格になるのが普通です。

なお、著作権者や製作者の許諾が得られないため、図書館に対しては販売して
いない作品もあります。したがって、購入リクエストをもらっても購入を断念せざるを
得ないものもあります。

現在所蔵しているDVD・VHSは、これらの著作権上の制約をクリアし、数年にわたり
結構な予算を費やして収集したものです。どうかDVDはもちろん、VHSもどんどん
利用していただきたいと思います。


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サッカーと言えば、ダイヤモンドサッカー (2006.07.06) by A先生

ワールドカップに翻弄された日々もようやく終わりを告げようとしている。
日本のグループリーグでの敗退が決まってからは、それなりに落ち着いた感はあるが、
やはり世界トップレベルの戦いは、観る者の心をガンガンに揺さぶる。
2002年の日韓共催での大会がきっかけとなったのであろうが、老いも若きもワールドカップの
ことを話題にするこの現状は、30年以上もサッカーを観てきた私には、何か夢の様でもあり、
しっくりとこない。まあ、「俺は昔から観ているのに何だ」という多少ひがみの感情もあることは
間違いないが。

私のワールドカップに関する一番古い記憶は、やはりドイツ(そのころは西ドイツ)で行われた
1974年のワールドカップである。今回は残念であったが、1974年の大会では西ドイツが優勝
した。その西ドイツとオランダの決勝戦は、ベッケンバウアーやミュラーが引っ張る西ドイツと
クライフを中心としたトータルフットボールのオランダの対決とあって、大変注目を集めていた。

実は、この決勝戦は日本で生中継された。この事実をご存知の方はかなりのサッカー通である。
どこのテレビ局が放映したかと言うと、テレビ東京である。私は、当時関西に住んでいたので
テレビ東京ではなく、サンテレビという、それこそ知る人ぞ知る(甲子園の阪神戦終了まで
完全中継)テレビ局で観ていたのであるが。

その当時、テレビ東京は「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組を放映していた。
この番組は、私のようなサッカーファンにはたまらない番組で、アナウンサーの金子勝彦氏の
「サッカーを愛する皆さん。ご機嫌いかがでしょうか。」から始まる土曜の6時からの45分番組は、
本当のサッカーとはいかなるものかを教えてもらえる貴重なものであった。
なんと45分間はCMなしで、ある試合の前半あるいは後半だけを岡野俊一郎氏との名コンビで
放送していた。解説の岡野氏から教えられたサッカーの知識は、数えられないぐらいあり、
この番組が私のサッカー観を作り上げたと言っても過言ではない。
もちろん次の週には続きが放映されるため、前半を見た後の一週間は、じりじりした思いで
過ごしたものである。

このテレビ東京が、決勝戦の衛星生中継を行った。当時としては画期的なことであろう。
サンテレビも同じく生中継だったかどうかは、残念ながら忘れてしまったが、あの天才クライフが
ドイツのちっこいDFのフォクツに完全に抑えられている姿は忘れられない。

その後、1年にわたってダイヤモンドサッカーは西ドイツワールドカップの試合を放映し続けて
くれた。もちろん、「アルヘンチナース?」という声援が忘れられない次の1978年のアルゼンチン
ワールドカップも、ジーコも出てた1982年スペイン、「メヒコ、ラララ」の1986年メキシコワールド
カップも放映してくれた。
ワールドカップのない時は、ブンデスリーガなどのヨーロッパのリーグ戦などを観ることができた
のである。

今でこそ、ヒデが世界に出て行ったさきがけのような報道がされているが、私の中では奥寺康彦氏
であり、さらに尾崎加寿夫氏こそが、日本人として世界にチャレンジしたサムライである。彼らの
活躍もこの番組で観ることができた。ダイヤモンドサッカーは本当に偉大であった。

ところが、今回のワールドカップの決勝戦でなんと金子勝彦氏がドイツからアナウンサーとして
中継するとの記事を朝日新聞(6月25日)に見つけた。残念ながら、解説は岡野俊一郎氏では
ないのだが、32年ぶりのドイツからのワールドカップ決勝戦生中継を担当するのである。
朝日新聞の記事によると、最近は病床に臥していたようだ。久々の中継ということで、
本人も健康面を心配されているようだが、是非、往年の調子で中継していただきたい。
スカパーを見れる人は、観て、彼の名調子の実況を聞いていただきたい。

私は、今、スカパーに入っていないことを猛烈に悔いている。もったいないけど、加入しちゃおうかな。
誰か録画して、私にちょうだいよ。


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健康食品・サプリメントに関するサイト (2006.06.16)

皆さんは普段から健康食品やサプリメントなどを摂っていますか? 

私は、お薬は好きではないので風邪薬とかでもほとんど飲みませんが、
サプリメントなどは結構好きで、新聞やテレビで知って、これは良さそう! と思うと
国産のものなら結構気軽に摂取してしまいます。

しかし、効果があまり感じられなかったり、他のサプリメントに目移りしたりで、
あまり長続きしないことも。
また、摂取方法・量によっては弊害がでる、など報道されてやめてしまったり。

さて、そこで、健康食品やサプリメントに関するサイトをご紹介します。
どちらも、当館のホームページの
リンク集 の 2.医学・薬学 (3)健康食品情報 に掲載しています。


「健康食品」の安全性・有効性情報(国立健康・栄養研究所) 


健康食品ナビ(東京都福祉保険局健康安全室健康安全課食品医薬品情報係) 


こういったサイトがあると、どういった効果があるのか、本当に効果があるのか、
安全なのか、かが調べやすいのでとても便利ですよね。

学生の皆さんにもお役に立つのでないかと思うのでご覧になってみてください。

また、リンク集ではこの他にも、皆さんの勉強や情報収集に役立つと思われるサイトを
紹介していますので、ぜひご覧になってみてください。


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語学が堪能? (2006.06.01) 新メンバー、O先生のこみみです。

何年も前、留学したての頃のことを書こう。

留学に当たり、英語といえばトラベル英会話ができ、専門分野の英語文献を読めるくらいの
準備しかしていなかった。C市の空港に降り立ち、先に留学していたK博士が用意して
下さっていたアパートに着き、ほっとした矢先に見た光景は、今も忘れない。

アパートの前に大きな、大人が10人くらいはすっぽり入るゴミ箱がある。そこに、ヨレヨレの
服を着た年輩の男性が入り込み、何とゴミ漁りをしている。
通りかかると話しかけられた。英語で。 、、、え!、英語だよ!この人英語しゃべれる。
英語しゃべれる人が何でゴミ漁ってんの!驚き新鮮、なんてものではない。一瞬、ぶっ飛んだ。

日本なら今でもまだ、あり得ない話である。まして当時は、リストラなんて言う言葉もまだ
あまり聞かない時代だった。

この人、英語が堪能??、、、。一瞬おいて、ここは英語の国なんだと体中で認識した。
よく、”あの人は語学が堪能でいらっしゃる、”などという言葉を耳にするが、ここでは英語は
生きる手段、生の言葉。英語が特技とか知識なんていう考えが吹っ飛んだ瞬間だった。

留学に当たり、恩師から、向こうでの研究スタイルそのものを学んでこい、と言われていた。
研究室では、当然ながら英語での生活。日常会話から研究データのディスカッションまで、
全て英語の生活が始まった。

英語でのディスカッション。空気中に英語の単語が乱れ飛び、そこいらに熱気とともに
漂っている。それらがやがて冷えて、机上に置いた紙の上に降り立ち沈殿し、定着すると、
何と研究論文が出来上がっている。奴らはそんな風にして論文を出している。その早さと
密度に、大きな刺激を受けた。
それまで日本にいたときは、まず頭の中で骨子を描き、(当然日本語)、「英作文」を捻り出す。、、
出来上がった論文にリズムなどある筈がなかった。英語で書く研究論文が、ごくありふれた
研究室の日常から生まれていることを実感した瞬間だった。

研究スタイルを学ぶ初歩は、こんな風にして始まっていった。その後、1年、2年、3年と、
年を追う毎に、少しずつ言葉の壁は越えてきたと思う。どんな風に上達したのかは、大いに
疑問ではあるが。

英語は、生きるための手段。”ことば”。是非、チャンスを掴み、若いときに海外での”生活”を
してみてほしいと思う。


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歴史に学ぶ −西郷さんの言葉− (2006.05.11) by U先生

旅行には,大自然の絶景を見たり,郷土料理に舌鼓を打ったり,またはリゾート施設で
のんびり…など様々な楽しみがあります.
食べること,呑むことが大好きな筆者は,中でも「郷土料理」を楽しむことが旅行の楽しみの
重要な部分でした.

しかし,歳をとってきたせいか,旅の楽しみのひとつ,その土地の「歴史を学ぶ」のが,
最近とみに好きになっています.
仙台に行った際には,牛タンを楽しむだけではなく,伊達政宗ゆかりの地を訪れ,
資料館等で伊達政宗の勉強をし,ゴールデンウイークは墓参りに訪れた鹿児島では,
黒豚を楽しむだけではなく,明治維新を含め西郷隆盛の勉強をしてきました.

振り返れば,自身が歴史を勉強したのは中学生のころ.
高校時代は地理を選択していたため,恥ずかしいくらいに歴史を知りません.当時,
歴史は「試験のための勉強」でしかなく,また,それは過去のことであり,今とは関係ない
という気持ちから,地理を選択したのだと思います.

しかし,今,思うことは,歴史という現実に起こったことの積み重ねの先に,我々の「現代」が
あるということです.すなわち「今」を理解するために,過去の歴史というのは必須となります.

今回の旅で勉強したのは,明治維新の巨星,西郷隆盛です.
明治維新は,現代日本を理解する上で,とても重要です.しかしここで,西郷隆盛を中心とした
明治維新の重要性を上手く解説できるほど,筆者には文才がないのでやめておきます.
けれど,西郷さん(鹿児島の方は親しみを込めてこう呼ぶ.または「西郷どん」,鹿児島訛りで
「せごどん」)の遺した多くの言葉が,とても印象に残ったので,ここに紹介します.

「人を咎めず,我が誠の足らざるを尋ねるべし」
 ・・・「人を非難するようなことはせず,自分の真心が足りないことを反省せよ」ということ
 です.昨今,自身のことは棚に上げて,なにかうまく行かないことがあれば,相手のせいに
 しがちですが,まずは自身のことから振り返れという教えです.

「天は人も我も,同一に愛し給うゆえ,我を愛する心を以て,人を愛するなり」
 ・・・「天は他人も自分と同じように愛するので,人も自分を愛するように他人を愛することが
 肝心である」ということです.他人を思いやり西郷さんの大きな心を表した名言です.

「徳の高い者には位を,功績の多い者には報奨を」
 ・・・組織において,功績を指標に昇進を決めるべきではない.
 人の上に立つ人は「人徳,人格」を備えていなければいけないということです.

今の世の中,「株のデイトレードで何億もうけた」とか,ITベンチャーの話が出れば,
その中身ではなく,「どれだけ儲けたか」と,なんでもかんでも「金,金」という風潮で,
お金儲けするのが偉いこと,そしてお金を稼いだことが地位のように扱われています.
しかし,西郷さんは,リーダーたるものの本質は「徳」であることを説いています.
西郷さんが,現代に生きていれば,なんでも「金,金」の現代人を厳しく叱咤してくれたんじゃ
ないかと思いました.

みなさんも旅のついでに,歴史,そしてそれにまつわる偉人を学んでみてはいかがですか?


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「ロード・オブ・ザ・リング」を見るなら! (2006.04.19.)

 図書館にもやっとDVDが入りました。図書館で見ていく方、借りていく方、さまざま
ですが、早速使ってもらえるのは、うれしい限りです。まだタイトル数が少ないのが
申し訳ないところですが。
 さて、その数少ないDVDソフトの中に、「ロード・オブ・ザ・リング」の3部作があります。
DVDが入ったのを機に、原作本も購入しました。もちろん訳本です。追補版をいれて文庫で
10冊。壮大な物語なんです。映画を見た方も、見ていない方も、読んでいないならぜひ
原作に挑戦していただきたいのですが、その前に! ぜひとも関連している物語の
「ホビットの冒険」を読んでください! 「指輪物語」の序章は物語を読む前にしって
おくべきこの世界の知識、といった趣で、話が始まるまでに実に30ページ程(新版)を
費やしています。ここで挫折する可能性があります。でも、「ホビットの冒険」から読めば、
この序章も物語の一部として興味深く読むことができます。「ホビットの冒険」こそ、序章と
言っていいと思います。「指輪物語」は途中でやめてしまうにはあまりにも惜しい物語です。
ぜひぜひ読破してください。「ホビットの冒険」は岩波少年文庫からでているだけあって
ぐっと読みやすいですし、ひとつの物語として完結していますから、こちらだけでも充分
楽しめます。「指輪物語」制覇の暁に、さらに世界を極めたい方は「シルマリルの物語」
に挑戦してください。
 「ロード・オブ・ザ・リング」の原作「指輪物語」を読んでほしい、という話は
以前にもこみみで力説しました。でも、原作本とDVDがはいった今こそ、声を大にして
宣伝すべき! 思って、再度宣伝しております。
 
 ところで最近は、児童文学の名作が次から次へと映画化されていますね。なんとも
言えない気持ちです。もちろん今に始まったことではありません。「指輪物語」だって
「ロード・オブ・ザ・リング」が製作されるずいぶん前に映画化されていますし(これは
がっかりでした。今だって3本にわかれているものを、1本で済ませていたんですよ!)、
今話題の「ナルニア国物語」もBBCでドラマ化されていましたよね。他にも、図書館で
ビデオを所蔵しているだけでも、「メリー・ポピンズ」「長くつ下のピッピ」「やかまし村の
子どもたち」、いくつもあります。それでも、やっぱり複雑な心境です。お願いだから、
原作も読んで! という気持ちです。「ナルニア国物語」もスタジオジブリで映画化される
という「ゲド戦記」も、みんな児童文学が好きなひとなら知らない人はいない名作中の
名作です。ぜひ、原作を読んでほしいです。
 児童文学というと、子どもの本でしょー、と思われるかもしれません。でも大人が読んでも
充分に楽しめるものがとても多いのです。皆さんご存じのハリー・ポッターシリーズだって
そうですよね(DVDあります!)。ジブリで映画化された「ハウルの動く城」だって、原作は
「魔法使いハウルと火の悪魔」、子どもから大人まで充分に楽しめる作品です。ちなみに
ハウルの続編は、「アブダラと空飛ぶ絨毯」です。これもおもしろいですよ!!

図書館にあるのは
「ホビットの冒険」 上下巻 J.R.R.トールキン著 岩波書店 933/TO(文庫コーナー)
「指輪物語」 全10巻 J.R.R.トールキン著 評論社 933/TO(文庫コーナー)
「ハリー・ポッターと賢者の石」他シリーズ既刊5巻まで J.K.ローリング著 静山社(933/RO)
 ★ハリーのDVDは3巻まで所蔵。

図書館にはないけど
「シルマリルの物語」 J.R.R.トールキン著 評論社
「ナルニア国物語」 全7巻 C.S.ルイス著 岩波書店
「帰ってきたメアリー・ポピンズ」他シリーズ4冊 P.L.トラヴァース著 岩波書店
「長くつ下のピッピ」他シリーズ3冊 A.リンドグレーン著 岩波書店
「やかまし村の子どもたち」他シリーズ3冊 A.リンドグレーン著 岩波書店
「ゲド戦記」 全6巻 アーシュラ・K.ル=グウィン著 岩波書店
「魔法使いハウルと火の悪魔 -空中の城1」 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著 徳間書店
「アブダラと空飛ぶ絨毯 -空中の城2」 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ著 徳間書店


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楽家と病気(2) アマデウスの死とモーツアルトの死因 (2006.04.06) by K先生

ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756年1月27日生〜1791年12月5日没)を
知らない方はいないと思います。1985年に封切られた映画「アマデウス」は、
わが国に空前のモーツアルトブーム、いやクラシック音楽ルネッサンスを引き起こした
ことは記憶に新しいことです。

あの美しいモーツアルトの音楽に身を任せているとき、この作曲家の死因など考える
人は、まずいないでしょう。しかし、映画「アマデウス」は、当時のイタリア人宮廷作曲家
サリエリがモーツアルトを毒殺したという暗い独白シーンから始まります。

モーツアルトの死因については伝説的内容が多く、医学的根拠があるものは少ないと
いわれていますが、映画で取り上げられた毒殺説は、これらの中で最も話題性の高い
ものと言われています。実際、映画「アマデウス」の90年近く前の1897年に、交響組曲
「シェエラザード」で有名なリムスキー・コルサコフがロシアの作家プーシキンの戯曲
「モーツアルトとサリエリ」(1830年作)をオペラ化しており、これもモーツアルト毒殺説を
題材にしています。
一方、サリエリの看護人や親友の証言では、毒殺説を否定する文章も残っているそうです。
余談ですが、このオペラは、現在、CDで聴くことができます。

では、映画の題名がなぜ「モーツアルト」や「ヴォルフガング」ではなく「アマデウス」だった
のか?皆さんはこんなことを考えたことがありますか?
「アマデウス」は、モーツアルトのミドルネーム、すなわちクリスチャンネームです。
クリスチャンネームを毒殺するということは、神に対する挑戦である、と解釈する説があり
ます。すなわち、俗人サリエリ(人間)が、天才アマデウス(神)を毒殺するという神に対する
挑戦が、この原作の根底にある思想である、というわけです。実際、ヨーロッパで公開
(当初は映画ではなく舞台演劇でした)されたときは、反キリスト教的なシーンがあったと
いうことです。

実際のところ、モーツアルトの死因には諸説ありますが、根拠の乏しい毒殺説よりも
病死説(リウマチ熱の再発に伴う心臓弁膜症の憎悪、ペスト感染、梅毒の治療のために
服用した水銀薬による尿毒症、)の方が妥当ではないか、と考えられています。

今年、生誕250年を迎え、世界中で注目されている天才作曲家モーツアルトのわずか
36年の生涯に創られた600曲に及ぶすばらしい音楽は、死因などとは無関係に現代人の
心を癒し続けています。

モーツアルトの短い生涯は、神様が彼の才能に嫉妬した結果でしょうか?それとも少し
でも早く自分の傍に連れてきたかったのでしょうか?彼は神のために天国で何曲くらい
作曲したのでしょう。ぜひ聴いてみたいものです。


(※図書館注)
 「アマデウス」(ビデオ)は図書館にあります。 請求記号:778.253/AM


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想像するちから (2006.03.23)

活字離れが嘆かれています。
でも、本屋さんに行くと結構混んでいて、ちっとも本を読まないと言われている中高生も
たくさん。どこが活字離れなんだろうと思ったりします。

けれど、ちょっと観察してみると、彼らが夢中になって読んで(見て)いる本は、
漫画、雑誌、タレント本、ゲーム攻略本、売れ筋の癒し系の本・・・。あげてみると
どれも文字は少なめ。
本というものはどんどん多様化していて、本=活字という図式は既に成り立たないの
ですね。「本離れ」ではないけれど、確かに「活字離れ」と言えるのかもしれません。

大学の講義の教科書をみても、「目で見る○○」「ビジュアル○○」「図解○○」と
視覚に訴えるものが増えています。

百聞は一見に如かず、というとおり、文章でいくら説明されてもなかなか頭に入らない
ことが、絵や図で示されれば一発で理解できることはよくあります。
(実は私も『源氏物語』のとっかかりは、漫画『あさきゆめみし』だったクチ。)
でも、怖いのは、そればかりに慣れてしまい、文章を読んで理解することができなく
なってしまうことです。
ぱっと見て感覚的に理解できるものを受け入れ、そうでないものは受け入れようと
しなくなってしまう。「行間を読む」なんてとてもできない。
視覚的にわかりやすいものには、想像力の入り込む余地がありません。考える
トレーニングをする機会がなくなってしまうのです。

凶悪な犯罪のニュースを聞くたびに、この、想像力の低下について考えます。
犯人は、他人の痛みを想像できないのでしょう。自分が相手の立場だったらどうか、
どういう気持ちになるのか、立場を置き換えて考えてみることができないのでしょう。
もし、みんなが他人の状況や気持ちを十分に想像することができたら、世の中の
もめごとのほとんどは解決するのに、と思います。

言い尽くされているけれど、やはり、もっと本を読もう、文章を読もう、と言いたい。
目の前にないものを想像してみること、日常の自分と違う立場に身を置き、日常では
ない体験をしてみること、自分とは違う生き方や考え方を受け入れてみることが、
もっともっと必要だと思います。

もうひとつ、個人的な意見ですが、「能」を観ることは有効です。
能には、大掛かりな舞台装置も、演じ手のわかりやすい感情表現もありません。
例えば、うつむくだけで泣いていることが表現されたり、舞台の上に広げて置いてある
装束一枚で、衰弱して横たわっている”葵上”が表現されたりします。
常に想像していないと、そこには「何もない」ことになってしまうし、演じ手が何を演じて
いるのか感じ取れなくなってしまうのです。
想像力をフルに働かせて、見えない”葵上”を見、シテ(主役)の動作に”六条御息所”の
怨念や悲しみを感じる。
受身の姿勢で眺めるのではなく、より楽しむために少しの努力をしてみる。

小学生に必要なのは株や英会話の授業より、まずそういうことなんじゃないかな。


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ワタシはスタコ その6 (2006.03.08) by T先生

カメオが家出した。

普段はおっとりして文句も言わないカメオが突然キレた。
いつものようにセンセイとワタシが愚にもつかぬ言いあい(「生協の白石さん」がなぜ売れた
のか?についてだったと思う)を繰り返していたその夜、突然にカメオが二本足で立ち上がり、
両手両足そして首を思いっきり伸ばして飼育ケースのへりにぶら下がった。
文庫本の山の向こう側にいたワタシも「ばしゃっ。」という水音に振り返り、ケースの壁に
はりついたカメオの腹を拝むことになった。ワタシは亀の首があんなに伸びるとは知らなかった。

カメオは信じられない強靭さでケースのへりから頭を梃子にしてぶら下がり、そして前足の
爪をへりにひっかけると、まるで懸垂をするようにして徐々に徐々に甲羅つきの重そうな
身体を引き上げていった。その姿はまるで氷壁をよじ登るクライマーのようで、まさに亀の歩み
とは言え、いつの間にかセンセイもワタシもカメオを応援する気持ちになっていた。

ようやく甲羅の半分くらいが空中に持ち上がったところで、カメオはバランスを崩し、それでも
首を振りきることで仰向けに傍らの「ポアロのクリスマス」の上に落下した。ちょうどワタシが
かじり始めていた「第四解剖室」の3冊上にあった文庫本である。これはセンセイが大事に
していたクリスティ文庫で、ワタシが触ることすら許されていなかった。

センセイはあまりの出来事に小さな悲鳴をあげ、つまりは、甲羅返しの状態のカメオよりも
ポアロの災難に慌てたのか、カメオの甲羅の下から文庫本を思いっきり引き抜いた。
もんどりうったカメオは、文庫本の山から転げ落ち、周りに水を撒き散らしながらワタシの
鼻先に落ちてきた。一瞬、腹を床に打ち付ける情けない姿を想像したワタシの心配をよそに、
意外にもカメオは無難に四本足での着地を行った。呆気にとられたワタシを顧みず、
カメオは悠然と歩みだし、濡れた文庫本を拭いて回るセンセイの気づかぬうちに部屋の
真ん中まで達していた。今思い返しても、立派な家出であった。

センセイは「カメオさんが自由を求める気持ちもわかりますねえ。スタコさんなんてずっと
放し飼いですもんねえ。」とため息をついた。
それに対してカメオは「違うんです。外へ出たいわけじゃないんです。狭いおうちが嫌と
いってるんでもないんです。僕はこの水のある世界が最高とわかっています。外へ出ても
良いことはないと理解しています。だけど、ここに留まるにしても、良い環境をつくる努力は
続けたいんです。お二人がいるところでケースの外へ出てみたのは、僕にも外へ出る力が
あることをわかってほしかったのです。あえて僕はここにとどまることを選んでいるのです。
僕もここに来て4年たちました。そろそろ、僕のおうちのレベルをあげてください。ガラス、
もしくは陶器のおうちにしてください。プラスチックケースは壁を擦る音が安っぽくて耐えられ
ません」と主張した。

思索する亀の嗜好は誠に悩ましいものである。センセイは週末に必ず専門のアクアリウム
ショップでガラス製の亀専用ケースを買ってくることを約束し、カメオを静かに飼育ケースの
中に戻した。

カメオは賢い亀である。自分の世界が狭いながらも生息するに十分とわかっている。
そして、その環境をより良いものにするべく効果的な家出を行い、鈍感なセンセイとの交渉に
成功した。カメオはこれでしばらくは満足のいく暮らしができるのであろう。

一方で、ワタシは計画性もなく、しかもいまだに外の世界にあこがれる。隙さえあれば、
あの鉄製の青いドアの隙間から逃げ出す自分を想像している。外に出ても猫に食われる
だけかもしれない。おいしい文庫本には二度とありつけないかもしれない。しかし、カメオの
ように分相応の世界を受容し、それをより良くすることで向上心を満たすことはできない。
いつか、いつか、あの青いドアの外のまぶしい世界へ走り出す自分を今日も夢見て
昼寝の床にある。
センセイはワタシの野心を見抜いているのか、決して青いドアを開け放つことはない。


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ノスタルジーに浸ろう (2006.02.23) by A先生

試験も終わり、ようやく休みとなった1〜3年生も多いと思います。また、4年生も
あと2週間で自由な時間を得ることとなります。
自分が休みの時にどのような過ごし方をしていたかを改めて考えると、えらそうなことを
言うのは恥ずかしい限りですが、その後悔と、皆さんに対する願望とを織り交ぜて、
「有意義に時間を使おう」と、声を大にして言いたいです。

人それぞれ、有意義な時間の定義は異なるかもしれませんが、日ごろできない事に
チャレンジするのも良いかと思います。そのひとつとして、本を読んでみてはいかがでしょうか。

本屋に全く行かない人はいないでしょう。いや、携帯電話に本を取り込んで読むから
行かないという人や、インターネットで注文して家に届けてもらうから行かないという人が
いるかもしれませんが。
まあ、本を手に取るという行為は、とてもすばらしく、人間の五感が揺り動かされる行為
ですので、そんな事は言わずに是非行ってみてください。

本屋は、夢や知識の宝庫です。もちろん今は、インターネットが様々なことを検索し
必要な知識を得るツールとして幅を利かせていますが、ほんの少し前(本当に15年前
ぐらいとは信じられませんが)までは、誰もが図書館や本屋などに行って必要な情報を
得ていました。
図書館や本屋という宝箱の中から必要な本を見つけることは、楽しくもあり、苦しくも
ありましたが、なぜか心躍る作業でした。
表紙を開けるときのわくわく感やなんともいえない新しい紙のにおいは、本屋でないと
味わえないものです。

実際に本屋に行くと、本の数に圧倒され、どの本が自分にとって面白く、有意義な時間を
すごさせてくれるかを見極めるのは、とても難しいことです。私自身も、本屋に行くと
どうしようかといつも途方に暮れ、身近にある本を手にしてしまいます。
しかし、最近の本屋では、立て札のようなものを立てて、店員さんが本の内容や
感想などを書いてくれているので、それをついつい参考にしてしまいます。
また、一昨年、そのような本屋の店員さんの推薦を全国レベルで集めて、本屋大賞
いう賞ができました。

本屋大賞に関しては、U先生が2年前のこみみに書いていらっしゃるので詳しくは
述べませんが、だまされたと思って読んでみる価値がある本が、一昨年、昨年と
1位になっています。
一昨年の「博士の愛した数式」は、U先生も楽しめたと書いていますが、阪神ファンで
ある私も大変気に入りました。ちょうど今、映画にもなっているので、御存知の人も多いと
思います。
なぜ、阪神ファンであることが重要かは、本を読んでみてください。文庫本にもなって
いますので、手軽に読めると思います。特に、薬学数学の単位をとるのに苦労した人にも
おすすめします。数学ってこんな学問なんだと目からうろこが落ちる思いをすること
間違いなしです。

また、昨年の1位である「夜のピクニック」は、つい最近まで高校生だった皆さんは、
共感できること間違いなしです。かなり前に高校生だった方は、ノスタルジーに浸る
ことができます。
内容は、高校の行事として行われる夜間歩行をたんたんと描いたものです。ただ
それだけなのですが、読み進めているうちに、自分の高校時代を想い出したりもしました。
また、先日の入試面接で、東北地方の高校生が、高校時代の思い出として
良く似た行事について語っており、「夜のピクニック」が実話に基づいて書かれたことは
嘘でないようです。

すべての高校で何か特徴的な行事が行われているかはわかりませんが、私の高校でも、
今考えれば疑問を持ってしまうような行事がありました。具体的には、軍隊のような
海での2泊3日の水泳教室と、真冬に行われる近くの山の上を走るマラソン大会です。
精神鍛錬と言ってしまえばそれまでですが、なぜこんなことを行わなければならないのかと
今さらながら考えてしまうものでした。
しかし、不思議なことに、時はこのわけのわからない行事を懐かしい想い出に変えて
しまい、高校時代の友人に会うと、格好の酒の肴(話題)となります。
皆さんも友達同士で話してみると面白いかもしれませんよ。

「博士の愛した数式」は図書館にありますが、残念ながら「夜のピクニック」はないようです。
では、是非本屋か街の図書館に行って、手にとって読んでみてください。

(※図書館注)
 「博士の愛した数式」・・・3階一般書架 913.6/OG
 その後、 「夜のピクニック」も図書館に入りました!!・・・3階一般書架 913.6/ON


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日本語に関する本 (2006.02.10)

今回は、最近入った「日本語」「文章」に関する本をご紹介したいと思います。

 賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典」 <814/NA>
   人物や事象をほめたりけなしたりする言葉を集めたものです。
   「学者をほめる/けなす」という項目では、ほめる場合には「研究のどこを
   ほめていいかわからないなら、下記の言葉でとりあえず敬意を表しましょう」、
   けなす場合には「今の日本の大学について考えるとき、次の言葉は何かしら
   ヒントをあたえてくれるでしょう」と解説されています。
   ちなみに、学者をほめる言葉では、
      「碩学」 「大学者」 「泰斗」 「宿学」 「篤学」・・・
   学者をけなす言葉では、
      「象牙の塔」 「御用学者」 「学者馬鹿」 「マッド・サイエンティスト」・・・
   などが挙がってます。

 論文の教室:レポートから卒論まで」 <816.5/TO>
   某大学工学部に在籍する「作文ヘタ夫」くんが主人公です。
   大学に入って初めての論文の課題、なんとか書き上げたヘタ夫くんですが、
   その「論文」に対して著者は「ひどい。ひどすぎる」「しかし大学教師をやっていると、
   この手の「論文」にはしょっちゅうお目にかかる」と解説しています。
   どんな「論文」かというと・・・

     ・課題を選んだ理由から始まる
     ・ここで終わりにさせていただきます、で終わる結婚式のスピーチのような論文
     ・広辞苑攻撃を含む論文 (課題に関して「まず広辞苑で調べてみた」と書いてくる)
     ・単位くださいと書いてあるクレクレタコラ論文

  自分もこういう論文(作文?)書いたことあるよ、という方は、ぜひこの本を読んで
  ヘタ夫くんと一緒に勉強してください。

論文・レポートに関する本では、ほかに
大学生のための文章表現入門」 <816/HA>  
という本もあります。
レポートのほか、就職論作文・エントリーシート・手紙・ビジネス文書など多岐にわたって
文章の書き方を解説しています。就職活動の参考にもなると思います。

ここで紹介した本以外にも、日本語や文章の書き方に関する本はたくさんあります。
昨年10/3のこみみでも「言葉遣いの本」として紹介していますのでそちらもご覧ください。


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DVDが見られるようになりました。(2006.01.20)

図書館VTR室の機器が、DVDも見られるものに変わりました。

いままで、図書館のVTR室ではVHSしか見ることができませんでした。
DVDと比べ、巻き戻しの手間があったりテープの劣化により映像が
悪くなるなどして少々不便だったり、VHS自体販売されるタイトルが
減ってきていることや、VHS機器が古く調子が悪かったことなどからも、
新たにDVDとVHSの両方が見ることのできる機器に変更をしました。

それに伴い、DVDを購入することになりました。
現在購入が決定しているものは、専門分野のものと映画などで11点です。
まだ受入はされていませんが、いくつかご紹介します。

「目で見る薬理学入門 第2版(全12枚)」
   先生から推薦があったものです。初版をVHSで所蔵しています。
   皆さんの勉強のお役に立つと思います。

「仮面の男」
   レオナルド・ディカプリオ主演の四銃士のお話です。
   ヨーロッパの歴史の好きな方、ディカプリオのファンの方にお薦め。

「テルマ&ルイーズ」
   アカデミー賞オリジナル脚本賞をとった作品。
   女性二人のロードムービーです。1991年製作の少し古いですが、
   有名になる前のブラッド・ピットが、ヒッチハイカー役で
   出演していたりします。

「ミザリー(特別編)」
   スティーブン・キング原作の、有名なサイコスリラー作品。
   ひとりで見るのが怖い方は、図書館でみんなで観てみては?


これ以外にも、追加で購入する予定がありますが、購入リクエストで希望も
受付します(著作権と予算との関係で、何でも買うことが出来る訳では
ないのですが)ので、お薦めの映画などありましたら、ぜひ申し込みをして
みてくださいね。


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宮大工の英知 (2006.01.04)
 by U先生

昨今,建築に関することが大きく話題にあがっていますので,今回は建築に関するこみみ
です.

みなさんは「宮大工」という言葉を知っていますか?大工さんの中でも,神社仏閣を専門に
建てる大工さんをこう呼びます.
宮大工さんも,今は一般の民家も手がけるようですが,その昔は,一般の家を建てると
穢れるといい,神社仏閣だけを手がけ,仕事のない時は農業などで生計をたてるという,
職人気質を絵に描いたような頑固さです.

日本最後の宮大工と言われた西岡常一さん(故人)著「木に学べ」(小学館文庫)を読めば,
昔の日本人の英知を感じ取ることができます.

釘(クギ):みなさんは釘がどうして,木と木を留めることができるか知っていますか?
釘には頭と棒の部分がありますが,釘の棒は先の部分以外は同じ太さなので,棒自身に
木を留める力はあまりなく,頭の部分で板を留めています.ですので,頭が錆びてしまえば,
もう釘としての役割は果たしません.

一方,和釘とよばれるものは,くさびのような形をしていて,頭がありません.代わりに棒の
部分が少しずつ太くなっています.ですので,この釘は棒全体で木と木を支えるので,
とても強く木を留めます.
しかし和釘はいきなり木に打つことはできず,木にノミで穴をあけてからでないといけない
ので,とても手間がかかってしまいます.しかし,その手間こそが結果として建物の寿命を
格段に延ばしているのです.

鉋(カンナ):今の建築で使われる鉋は電動鉋で,言ってみれば「電動ひげそり機」のように,
木の表面を削ります.電動鉋はたいした力が無くても,また誰でも簡単にすぐに扱うことが
できるものです.

一方,宮大工の使う鉋は「槍鉋」と呼ばれるもので,まさしく槍のように木の棒に刃先が
ついているものです.これは扱いが難しく,また一回に削れる量,範囲も狭く,一見非合理的な
道具に思えます.
しかし,電動鉋と槍鉋の削った表面を顕微鏡レベル見れば,大きく違うそうです.電動鉋で
けずった表面はささくれ立っていて,水が容易に染み込んでしまいますが,日本刀のように
鋭利な槍鉋で削った表面は,とても滑らかで,水をもはじいてしまうそうです.
ですので,槍鉋で削った木はカビが生えたり,腐ったりしにくいそうです.

木を組む:宮大工は決められたサイズの材木を図面通りに組んでいくことをしないそうです.
「木は寸法で組まずに木のクセで組め」といい,まず,その木が生きていたときの環境を考え,
「この木は南向きのなだらかな斜面の暖かい環境で生えていたから,この建物のこの部分に
適している」とか,「この木は北向きの急な斜面に生えていたから,この部分に使えば無理な
力がかからない」とか,その木のクセ(個性)を読み取って,木を組みます.
こうすることによって,建物全体として,力が分散されて,丈夫な建物ができあがるという
ことです.

たしかに,大量生産される画一な材木や,扱いが簡単な電動カンナ,西洋釘などは合理的
かもしれません.しかしわずか数十年で壊れてしまう家と,ちゃんと手入れをすれば何百年も
もつ家,なかには千年以上前の木造のお寺が存在することを考えると,結局,どちらが
合理的,経済的で,地球に優しいのでしょうか?

科学は一見進歩したようで,でも人の心は案外進歩していないどころか,後退してしまった
部分もあるのではないかと思いました.

お正月,初詣した神社仏閣に宮大工の英知を見つけることができましたか?


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