帝京大学薬学部 研究業績 | English
病態分子生物学研究室

研究室紹介
 私たちの研究室では、鳥類の学習に着目した生化学的、行動学的、生理学的な解析を通じて、動物が持つ能力(脳力)獲得の分子機構と、その基盤となる記憶形成のメカニズムを明らかにしていこうとしています。以下に研究概要を記します。

 ある種の学習には、その時期にしか習得できない臨界期(critical period)、あるいは感受性期(sensitive period)と呼ばれるものがあることが知られています。巣を持たない鳥類のヒナが、孵化直後に親を記憶して追いかける刷り込み学習(インプリンティング)はその典型的な例で、ノーベル医学生理学賞を受賞したコンラート・ローレンツによる研究が有名ですが、刷り込みに関する報告は、1873年のダグラス・スポルディングによるものまで遡るといわれています。以来、行動学的、心理学的、生化学的な多くの考察がなされてきましたが、およそ140年の間、刷り込みの臨界期の分子機構、特に時期を決定する因子の存在については明らかにされていませんでした。

 私たちは、ニワトリの場合孵化後数日間に限定されている臨界期の開始を決定する因子が、甲状腺ホルモンであることを発見しました。すなわち刷り込みが成立するためには、学習を開始後甲状腺ホルモンが急速に脳内へ流入し、臨界期の扉を開く生化学反応を引き起こすことが必要だったのです。この反応は急速で、20〜30分間の生化学反応(non-genomicな反応)で充分なものでした。また臨界期を過ぎ、学習させても刷り込みが成立しなくなった鳥であっても、人為的に甲状腺ホルモンを注射することで刷り込みが可能となることも示しました。さらに刷り込みには、その後の学習(強化学習)を効率よく習得できるようにプライミングする機能(学習の火付け役)があることもわかりました。驚くべきことにこのプライミング能力(メモリープライミング(MP)と命名)は、刷り込み学習をさせなくても、甲状腺ホルモンを一過的に与えるだけでその後半永久的に刷り込み学習や、他の強化学習を可能にしました。すなわち学習臨界期が閉じなくなったと解釈できます。

 これまで刷り込みは、親子関係の特殊な学習であり、他の学習への影響が考察されることはほとんどありませんでした。この発見によって、刷り込み学習の生理的意義は、「ホルモンを介したプライミングによって、脳の学習能力を飛躍的に上昇させること」という新たな概念に広がったことを意味します。私たちは、生後間もないこの学習(刷り込み)を上位とする、脳の発達段階に対応した学習の階層構造が存在することを仮定し、その階層性を説明するための新たな学習モデル(Champagne tower model)を提案しています。

 今後、私たちは、刷り込み臨界期の開始を決定する因子としての甲状腺ホルモンの作用メカニズムを解明すること、および脳の発達とリンクした学習の階層性と、メモリープライミングの生理的意義を明らかにすることを目指したいと思います。まず、脳がホルモンのプライミングによってどのように変わるのか、その分子メカニズムを明らかにしたいと思います。また第二のプライミング因子を見出したことから、プライミング因子の普遍性、そして学習の階層性の証明、新たな学習モデルの構築を、生化学的、生理学的な観点から追及してまいります。私たちは、学習を実験科学の視点から捉え、動物の知性の発達をプライミングをキーワードとして解明していきます。

 臨界期を有する学習では、ヒトにおいても、言語の習得、絶対音感、社会性やストレスへの適切な対応能力の獲得など、幼若期で習得することが不可欠な学習が存在します。私たちは、以上のような研究を通じて学習臨界期の分子基盤と生理的意義を明らかにするとともに、臨界期を逃しても再び臨界期を人為的にもたらすことが可能であることを示し、その応用を考えていきたいと考えています。そうすることによって、例えば学習を先延ばしにしてもあらかじめプライミングしておくことで、いつでもその後の習得を保証するような薬の開発など、これまでにない新しい研究領域を開拓することも可能となるのではと考えています。


教職員
教授 本間 光一 私設職員 藤田 永子
准教授 青木 直哉    
助教 森 千紘
研究員・大学院生